【特別コラム】「AIがやりました」は通用しない──個人がAIを使う時代の“責任”とは何か

ここ最近、会議や報告書、メールの文面から、
「この文章、AIが書いたな」と感じることが増えた。

自然で、きれいで、正確。
だけど、どこか魂が抜けている。
AIが仕事の一部を担うのが当たり前になったいま、
もう一つの問題が静かに浮かび上がっている。

──その成果に、誰が責任を取るのかという問題だ。


■ 個人がAIを使う時代、会社のルールは追いつかない

数年前までは、AIを使うといえば「会社が導入したシステム」を指していた。
しかし今は違う。
ChatGPT、Claude、Gemini、Copilot…誰でも使えるAIツールが身近にある。

社員一人ひとりが、自分の判断でAIを使い、
提案書を作り、報告書をまとめ、企画を練る。
AIはもう“組織の道具”ではなく、“個人の延長”になっている。

ここに、見えないリスクがある。
会社の判断ではなく、個人の判断でAIを使う時代になったからこそ、
「AIがミスしたとき、責任は誰にあるのか」が曖昧になっているのだ。


■ 「AIが書いた」と言えば、責任を逃れられるのか

AIが提案した資料に誤りがあった。
AIが生成した文章に著作権侵害が含まれていた。
AIが出した数字に基づいて意思決定した結果、損失が出た。

そのとき、「AIが出したから仕方ない」と言えるだろうか?
──もちろん、言えない。

AIを“使った”という事実がある以上、
最終判断を下したのは人間だ。
つまり、AIが間違えたのではなく、
「AIを信じたあなたの判断が間違っていた」ことになる。

私はこう思う。
AIを使うことは、リスクを引き受ける覚悟を持つことだ。
便利さと責任は、いつもセットである。


■ 「便利だから」では済まされない

実際、現場ではAIの誤りが静かに問題になっている。
社外に出す提案書に誤った数字が混ざっていた。
AIが引用した文章の出典が不明だった。
AIに翻訳させた文面が微妙に失礼な表現になっていた。

AIは万能ではない。
それを理解したうえで“使う側の責任”を自覚しなければ、
便利さは、あっという間に信頼を壊す。

私は、AIを「使う人」と「使われる人」の差は、
確認の丁寧さにあると思っている。
AIを信じきらない。
常に、最後は自分の目で確かめる。
その慎重さが、これからのプロフェッショナルの条件だ。


■ AI時代の「責任の取り方」

AIが仕事の一部を担う社会では、
“責任”の形が変わっていく。

昔の責任は、結果に対して取るものだった。
でも今の責任は、プロセスに対して取るものになる。

「どんなAIを使ったのか」
「どう指示したのか」
「出てきた結果をどう判断したのか」

そのプロセスを説明できる人だけが、
AIを“仕事の道具”として扱う資格を持つ。
AIの判断を使うなら、AIの出した結論に“立ち会う覚悟”がいる。


■ AIを「使う」ではなく、「共に考える」

私はこう考える。
AIを使うことは、“代わりに考えさせる”ことではない。
一緒に考える相手として使うことだ。

AIが出した答えに「なぜ?」と問いかける。
AIの提案を鵜呑みにせず、裏を取る。
AIに頼るほど、自分の考える力を sharpen(研ぎ澄ます)必要がある。

それができない人は、AIに使われてしまう。
そして、それが仕事上のトラブルにつながる。
だからこそ、AIを“同僚”ではなく“部下”として扱うくらいの厳しさが必要だ。


■ 結びに──AI時代の「信頼」は、人間の慎重さで守られる

AIが出す言葉は速く、正確で、説得力がある。
でも、そこに「責任」はない。
AIは謝らない。反省もしない。
だからこそ、AIを使う人間が、その背中を引き受けるしかない。

私はこう思う。
AIの使い方が上手い人とは、
一番慎重な人のことだ。

AIを疑い、確認し、補足し、
最後に「これは自分の判断です」と言える人。
その姿勢こそが、
これからのビジネスで最も信頼されるスキルになる。

AIが代わりに考える時代だからこそ、
「責任を取る覚悟」を持つ人間の価値は、
これまで以上に、重く、尊いものになるのだ。